6_白瀬南極探検隊記念館

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名称 白瀬南極探検隊記念館(しらせなんきょくたんけんたいきねんかん)

種別 科学 歴史 探検

場所 にかほ市金浦

日本海東北道金浦ICから車で5分

イメージ 挑戦 探検 南極

概要

白瀬南極探検隊記念館は、にかほ市にある市立の科学館、記念館です。

当地出身で、日本人で初めて南極探検に挑んだ 陸軍中尉 白瀬矗(しらせのぶ)の業績を記念して1990年に旧金浦町に開館されました。

明治の末期、少年時代から極地探検を志して研鑽を重ねた白瀬矗と彼のロマンに共感した30人の男たちの物語がここにあります。そして同時期に南極点をめざした英国探検隊スコットの様子も併せて今に伝えています。白瀬らのスピリッツを継承し現在も続けられている、日本の南極観測隊の歴史と現在についても知ることができます。

ここに来て、後年昭和基地で使用された雪上車を見て、そして南極の氷に触れて下さい。

T.YOSHINO


7_赤田の大仏

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名称 長谷寺大仏殿 赤田の大仏

種別 信仰 風習

場所 由利本荘市赤田

羽後本荘駅から車で30分

イメージ 平穏 安心

概要

市指定有形文化財「十一面観世音菩薩」(じゅいちめんかんぜおんぼさつ)昭和61年2月13日指定、国登録有形文化財「長谷寺大仏殿」(ちょうこくじだいぶつでん)平成25年12月24日指定。

長谷寺は是山泰覚和尚(ぜさんたいがくおしょう)により1775年に開山されました。赤田の大仏として親しまれている十一面観世音菩薩立像は、1786年に完成し、大仏殿は1794年の完成です。残念ながら1888年に火災により境内(けいだい)のすべての伽藍(がらん)が焼失、現在の観音像は1892年に大仏殿は1896年に再建されました。

観音像は身の丈は7.87メートルで杉寄せ木作り、漆を塗り金箔を貼ってあります。大仏殿は総丈21.2メートルの高さを持つ上下二層の建物で上層正面には観相窓(かんそうまど)があります。大仏殿内部でみられる大きな丸柱が一本通しで大仏殿全体を支えています。

毎年2月11日には、平和と繁栄を祈る大般若祈祷会(だいはんにゃきとうえ)、8月22日には現在では珍しい神仏混淆(しんぶつこんこく)の大仏祭典が執り行われます。どうぞごゆっくりお参りください。

K.ASADA

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8_折渡千体地蔵

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名称 折渡千体地蔵(おりわたりせんたいじぞう)

種別 風習 信仰

場所 由利本荘市

岩谷駅から車で10分

イメージ 心霊、静寂、イボトリ 鐘

概要

今から約200年前是山禅師(赤田大佛開祖)により延命地蔵尊として建立されたものです。現在は、通行人の安全と子守地蔵として知られ、別名イボトリ地蔵としても有名である。

中国福健省で作られた千体地蔵が、全国の寄進者によって平成元年から年月をかけ全山に据えられ、地蔵霊山となりました。

ここに置いてある石を家に持ち帰り、それでイボがある部分を治るように祈りながらこすること、本当にイボが消えたとの言い伝えが有名です。イボが消えたら、新しい石を海から拾ってきて2倍にして返すことになっています。

M.SATO

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9_湯出野遺跡

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名称 湯出野遺跡(ゆでのいせき)

種別 歴史 遺跡

場所 由利本荘市東由利

羽後本荘駅より車で30分

イメージ 縄文人集落 豊かな縄文の自然 信仰

概要

湯出野遺跡はおよそ3000~2500年まえの縄文時代後期から晩期のものと考えられている。ここで、東日本最大級の土壙墓(どこうぼ)という地面に穴を掘って死者を埋葬する形式の墓が103基まとまって発掘された。周辺から勾玉、小玉、耳飾り、土偶等副葬品が出土している。

出羽丘陵と八塩山に囲まれ、きれいな水と豊かな自然に恵れた東由利地域には、当時多くの縄文人が生活していた。その証としてこの地域を流れる高瀬川沿いには45ケ所もの遺跡が発見されている。ここは現代においても縄文時代と変わらぬ恵まれた自然が残っている地域と思われます。

K.SASAKI

H.SATO

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10_妙慶寺

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名称 妙慶寺(みょうけいじ)

種別 歴史 真田家

場所 由利本荘市 亀田

亀田駅から車で10分

イメージ 真田幸村 戦国武将の娘 幻の国宝御田の薙刀

概要

妙慶寺は、御田の方により、真田家の菩提を弔い、家の再興を祈願し1629年(寛永6年)亀田に創建された。

御田の方は、NHK大河ドラマで知られる戦国武将真田幸村の娘 直(なお)として1604年に生まれた。幸村が徳川家康と戦った大阪冬の陣では大阪城で父を助けた。大阪夏の陣の後、江戸(東京)大奥で人質として暮らし、その後京都で母と暮らした。そこで、直は、久保田藩(秋田藩)佐竹義宜の目にとまり秋田に下向、後に義宜の実弟宜家の妻となった。後に宜家が亀田藩主となり、直も亀田に居を構えることとなった。宜家との間に生まれた長男重隆も亀田藩主となっている。直は「真田の方」となるはずが、将軍徳川秀忠に遠慮し「真」の字をとって「御田の方」と呼ばれた。

寺宝として現在に伝わる薙刀は、御田の方が愛用したものである。

このお寺で、戦国武将の娘の運命を学ぶことができる。

S.HATAZAWA

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